英国外交官が見た「日本の美」と「慣れ」の力

美しさの基準は、時代や社会とともに変化します。その決め手になるのは、私たちが日常的に見慣れている習俗、つまり「慣れ」です。

江戸時代の日本では、既婚女性は眉を剃り、お歯黒をするのが一般的でした。令和のいま、お歯黒の女性を見れば、多くの人が奇妙、あるいは不気味と感じるでしょう。
明治末期に制作されたとされる無声映画には、日本髪を結った女形が既婚女性に扮して登場し、笑顔を見せる場面があります。その口元はお歯黒で、これを観たとき正直なところ強い違和感を覚えました。

しかし、江戸時代の人々にとってお歯黒は見慣れた美の習俗であり、不気味でも奇異でもなかったはずです。

幕末から明治初期にかけて日本で活躍した英国外交官のアーネスト・サトウ(写真)は、回想録『一外交官の見た明治維新』のなかで、お歯黒について率直な感想を記しています。

文久2年(1862年)から明治16年(1883年)まで日本に滞在したサトウは、大坂で名高い芸妓を見せられた際の印象をこう述べています。
「たしかに美しいと思われる女も数人いたし、どう見ても醜いと思われる者もいた。しかし彼女らの容貌は、黒く染めた歯と鉛の白粉によって台無しになっていると思った」

彼にとって、お歯黒は美しさを損なう存在だったのです。これは慶応3年(1867年)、大政奉還直前の大坂での体験でした。

ところが回想録には、その後の心境の変化も記されています。
「やがて私も、この黒光りする歯にだんだん慣れてきたのであるが」
さらに、皇后がお歯黒をやめた際には、「大抵の日本人と同様に、かえって新しいスタイルになかなかなじめなかったのである」と率直に語っています。

この皇后とは、昭憲皇后のことです。皇后は明治6年(1873年)にお歯黒と引き眉をやめ、日本の宮廷文化における近代化の象徴となりました。サトウはお歯黒時代と白歯になった後の両方の皇后を実際に目にしていたことになります。

お歯黒も、最初は違和感があっても見慣れれば自然になる。美の感覚とは、まさに慣れによって形成されるものだといえるでしょう。

ちなみに、明治天皇が断髪したのは、皇后がお歯黒をやめてから数日後のことでした。断髪令自体は明治4年に出されていましたが、実際に日本男性の洋髪化が進むのは天皇自らが髪型を改めた明治6年以降です。丁髷がほぼ姿を消すのは明治20年頃とされ、長年親しまれた風俗を変えるには相応の時間が必要でした。

もし江戸時代の人々が、令和の鮮やかなヘアカラーを施した女性を目にしたら、どう感じるでしょうか。おそらく妖怪のように思い、仰天したに違いありません。
結局のところ、美とは慣れなのです。


引用文献:『一外交官の見た明治維新』(上巻・第16章、岩波文庫)