サインポールに見る理髪外科医の歴史、理髪外科医から直美医師の現在へ

サインポールに見る理髪外科医の歴史

サインポールは理容室の象徴であり、代表的な目印の一つです。とくに日本・米国・英国では「サインポール=理容室」という認識が広く定着しているといわれています。サインポールを置かない国や、設置していない理容室も存在しますが、映画などの影響もあり、多くの人々がサインポールを見ると「ここは理容室だ」と認識します。サインポールは、男性向けヘアサロンであるバーバーの国際的シンボルとして、世界的に共有されているといえます。

サインポールは、中世の理髪外科医の名残とされ、白・赤・青の三色で構成されています。白は包帯、赤は動脈の血を表し、青については諸説ありますが、一般的には静脈血とされています(フランス国旗に由来するという説もあります)。

理髪外科医(Barber-Surgeon)は、理容の仕事に加えて簡単な外科手術も行っており、瀉血や腫物の切除、抜歯などがその代表例です。瀉血は治療目的で静脈を切って血液を排出させる行為で、紀元前から行われていました。ローマ時代の医師ガレノス(129〜200年)がその有効性を唱えたことで普及し、18世紀後半まで医学的検証のないまま続けられたといいます。ヒルに血を吸わせる療法もこの流れの一つです。

もともと理髪外科医が行っていた仕事は、キリスト教の聖職者が担っていました。中世の聖職者は、精神や魂だけでなく身体のケアも行い、髭剃りや散髪のほか簡単な外科的処置も担当していたとされます。しかし、第4回ラテラノ公会議(1215年)で聖職者は身体のケアを禁じられ、魂のケアに専念する方針に転換します。

その結果、聖職者が行っていた理容や外科的処置を引き継ぐ形で理髪外科医が誕生したと考えられています。聖職者が移行したというより、需要に応じて新たな職種として成立したのでしょう。理髪外科医が盛んになるのは、庶民が経済力を持ち始めた近世以降で、15〜16世紀のルネサンス期・大航海時代には職業として定着したと推測されます。1462年にはイングランド王エドワード4世が理髪外科医のギルド(組合)を認めており、この時代には一般的な職業となっていたことがわかります。

理髪外科医は、患者の腕を切って血を排出させる瀉血を行い、その際に患者は痛みに耐えるため棒を握っていました。この棒がサインポールの原型といわれます。サインポールには白い包帯が巻かれ、手術後はその包帯を傷に巻きました。使われていない包帯は店先のポールに巻いて掲げられ、それが理髪外科医の印となったのです。つまり、外科処置を行わない理容店との差別化にもなっていました。

医学が発展し専門の外科医が確立すると、理髪外科医の外科処置では不十分と見なされ、この職種は廃れていきます。英国では1745年に理髪師組合と外科医の組織分離が議決され、19世紀初頭には理容師は医療行為から完全に切り離され、散髪や髭剃りを行う専門職に移行しました。

サインポールはもともと理髪外科医の目印でしたが、現在では理容室の象徴として扱われています。米国ペンシルベニア州では、サインポールや理容サービスを示す看板の掲出が義務付けられていますが、多くの国に同様の規制はありません。日本でも規制はなく、理容所として届け出をしていてもユニセックスサロンはサインポールを設置しないことが多い。一方、男性客向けのメンズ美容室がサインポールを設置しても問題ありませんが、ほとんどありません。

赤・白・青の三色は鮮やかで印象的ですが、動脈・静脈説については、血液が時間とともに黒ずんでしまう点を踏まえると説得力に欠ける面もあります。包帯・血液の由来説やフランス国旗説も、後付けの説明である可能性は否定できません。

理髪外科医から美容医療の現在へ、理髪外科医と直美医師

18世紀に外科医の職域から分離された理髪外科医ですが、この歴史があったことで、その後の医療領域と美容領域の線引きにも影響を与えた可能性があります。

植毛医療や発毛医療、美容整形は多くの国で医療に位置づけられていますが、身体への影響が比較的少ない低侵襲のタトゥーやピーリング、脱毛、シワ取りのためのボトックス注射、レーザーによる軽度の皮膚処置などは、医師免許とは別の資格で施術できる国もあります。医師免許には人体解剖など高度な実習が必要ですが、低侵襲処置の資格は修学年数が短く、ハードルも低くなっています。もっとも、医療と美容領域の境界を巡る議論は今も続いています。

日本には伝統的な刺青文化があります。任侠が好む倶利伽羅紋々などの刺青は文化として黙認されており、現代的なタトゥーについても最高裁が「医師免許がなくても違法ではない」と判断しています。ただし、タトゥーを含む低侵襲の美容施術の分野には公的な資格制度が存在せず、不安定な状況が続いています。

そのようななか、臨床経験を積むことなく美容領域の施術を行う「直美医師」が増えています。医療現場の経験がないため一般医としては未熟ですが、低侵襲の美容施術には対応できます。直美医師が増える背景には、日本の医療制度や医師育成制度の問題も指摘されています。

日本では医師になるために医学部で6年間学び、免許取得後に臨床研修を行います。臨床研修を行わない場合でも6年間は必要です。他国では美容領域の資格は分野によって異なるものの、おおむね3年程度とされています。美容領域では医療知識・技術に加え、美的センスや関連分野の学習も重要です。

かつて英国では、理髪外科医と外科医が一つの組織に属していた時期がありました。理髪外科医ギルドは1462年にエドワード4世から認可され、後に外科医協会と統合されました。外科医協会のメンバー数が少なかったことも理由とされています。

しかし、同じ組織でありながら両者の医学知識や手術技量には大きな差がありました。外科医は人体解剖の実習や臨床経験が豊富で、多くの信頼を得ていました。1745年には外科医組合(後の王立外科医師会)が理髪外科医の組合から分離し、独立しました。

この構図になぞらえると、臨床経験のない直美医師は理髪外科医に相当します。美容施術の技術はあっても、一般医としては十分とはいえません。将来的には、日本でもタトゥー専門医、脱毛専門医、イボ取り専門医などが誕生しても不思議ではありません。

その可能性は大いにありますが、医学部で6年間学ぶプロセスは非効率であり、別の資格制度を設ける必要性が高いと考えられます。