毛を拾い集めたおちゃない
日本でのカツラの歴史は古い。
人毛によるカツラは中世、室町時代にはすでに存在していたといわれています。朝廷に仕える官女たちの、床まで届くほど長い垂髪をつくるためのものでした。カツラというよりも毛束といったほうが正しいかもしれません。
武士の台頭にともない朝廷の権力が衰え、経済基盤を失ったことが背景にあります。朝廷に仕えていた官女たちは、室町時代になると普段は生業(なりわい)をして生計を立てるようになりました。日常生活に長い垂髪は不自由です。普段は短い髪にして生活し、儀式などがあるときに毛束を継ぎ足して垂髪にして臨んだのです。
毛束にせよカツラにせよ、製作には髪の毛が必要です。そこで「髪の毛は落ちていないかね」と呼びかけながら毛を集める職業が生まれました。「おちゃない」と呼ばれる女性の職業です。語源には諸説あり、「髪の毛は落ちていないかね」に由来する説と、「落ちている毛を買う」ことから「落ち買い」に由来する説があります。
「おちゃない」は集めた毛を束ね、梳いて、毛束に仕上げ、宮中に仕える官女らに売っていたようです。
江戸時代に発達したカツラ
中世のころは単純な毛束で事足りましたが、江戸時代になると歌舞伎役者の装着を目的に、被るタイプのカツラが製作されるようになりました。金属(銅)の土台に毛を植え込み、複雑な髪型を表現します。歌舞伎役者のカツラから流行の髪型が誕生することもしばしばありました。
また、頭髪が薄くて髷が結えない武士のために、カツラの丁髷も製作されています。いまの男性用かつらと同じ目的です。毛束で作った丁髷の髻の底に、粘着性の強い松脂を多く配合した鬢付け油を塗り、頭に装着しました。激しく動くと脱落するため、静止状態で臨む儀式などの折に装着したようです。
江戸時代中期以降はカツラの利用が増え、髪の毛の需要も高まりました。この時代、「おちゃない」と呼んでいたかは定かではありませんが、人毛を集める年配女性がいたことは江戸川柳からわかります。
その川柳を見ると、寺の和尚に気を使っていた様子もうかがえます。仏門に入る者が髪を剃った際に、その髪をもらい受けていたといわれています。しかし中には、墓に葬られた死体を掘り起こして頭髪を削ぎ取る者もおり、それを詠んだ不気味な川柳も残っています。
「おちゃない」という職業は、一見すると貧しくも懸命に生きる女性の健気な姿を想像させます。しかし江戸川柳に描かれる姿は、不気味な老女のイメージに近いものです。中世の「おちゃない」は、もしかすると「死体は落ちていないか」という意味で「おちゃないか」と言っていたのかもしれません。
庶民が墓葬するようになったのは江戸時代中期からで、それ以前は貴人を除けば死体は野ざらしにされることも多かったといいます。一本一本の毛を集めていたのでは仕事にならないため、「死体は落ちていないか?」と死体を探し、髪を集めていた可能性も考えられます。「おちゃない」は不気味な存在として映るのです。
ただし、このイメージは現代人の価値観や生命観に基づくものかもしれません。室町から近世にかけての死生観は、現在とはまったく異なります。江戸時代には死刑囚の遺体を刀剣の試し斬りに用いたことも有名です。死人の髪の毛を抜き取ることは、当時は黙認されていた行為だった可能性もあります。
羅生門に登場する髪を抜く老婆
室町時代以前の12世紀に成立したとされる『今昔物語』本朝編には「羅生門の盗人の話」(巻29)があります。後に芥川龍之介の『羅生門』のもとになった話です。この中で、主人公の盗人が羅生門の二階に上がると、若い女の死骸から髪を手荒く引き抜く白髪の老婆がいました。
盗人(ぬすびと)、怪(あやし)と思て、連子(れんじ)より臨(のぞき)ければ、若き女の死(しに)て臥(ふし)たる有り。其の枕上に火を燃(とも)して年極(いみじく)老たる嫗(おうな)白髪白きが、其の死人の枕上に居て、死人の髪をかなぐり抜き取る也にけり。
これを見た盗人は、鬼か妖怪、死者の霊ではないかと恐れ、驚愕するものの、刀を抜いて走り寄ると、老婆は手を合わせて狼狽します。盗人が問い詰めると、老婆は
己が主にて御(おはし)ましつる人の失(うせ)給へるを繚ふ(弔いをしてくれる)人のなかりければ、此(かく)て置奉(おきたてまつる)也。其の御髪の長に余りて長ければ、其を抜取りて鬘にせむとて抜く也。助け給え
と懇願します。
この老婆は「死者を弔う人がいないので、このままにしておけない。髪が長すぎるので抜き取って鬘にしようと思った」と語り、命乞いをします。
本稿冒頭で「カツラは室町時代にはあった」と述べましたが、『今昔物語』の記述からすると、鎌倉時代にはすでにカツラが活用されていた可能性があります。羅生門の二階が死体の投棄場所であったことも伺えます。
桂の女

図版は、15世紀末に作成されたといわれる「三十二番職人歌合」絵巻の5番目に登場する「桂の女」です。桂女(かつらめ)は、頭に被る「かつら(蔓)」から名が付いたという説のほか、現在の京都市西京区・桂川右岸に由来する地名説もあります。
絵を見ると、左の女性は毛束を束ね、腰紐に毛束を挟んでいます。『ウィキペディア』によれば「時代により巫女、行商、遊女、助産師、予祝芸能者といった役割を担った」とされます。
この女性が「おちゃない」であった可能性もあり、あるいは「おちゃない」が集めた毛を買い、商品としての毛束を作っていたのかもしれません。