明治4年(1871年)に発布された、いわゆる「断髪令」は、断髪を強制するものではなく、「丁髷をやめてザンギリ頭にしてもよい」といった内容の緩やかなものでした。しかし、当時の政府高官、特に木戸孝允は率先して断髪を勧めました。
彼が推奨したとされる俗謡には、以下のような一節があります。
「半頭(はんとう)頭をたたいてみれば、因循姑息(いんじゅんこそく)の音がする」
「総髪(そうはつ)頭をたたいてみれば、王政復古の音がする」
「ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」
この俗謡によって、ザンギリ頭は一躍、文明開化の象徴として広く認知されるようになったのです。
なお、「半頭」は丁髷や月代(さかやき)を指し、「総髪」は幕末に流行した月代を剃らない髪型のことです。
このように、明治時代の髪型改革の背景には、外国からの目線や日本国内の意識改革が複雑に絡んでいました。ザンギリ頭が文明開化の象徴となった理由の一つには、この印象的な俗謡の存在があったと言えるでしょう。