江戸古川柳にみる髪結

川柳は、時代の世相や風俗、情景などを風刺を利かせて滑稽に詠んでいます。
江戸時代には髪結や髪結床を詠んだ川柳があり、髪結風俗の一端を垣間見ることができます。

○人の気を結って髪結流行る也
この川柳には、現代にも通じる感覚があります。

江戸古川柳に使われている言葉の中には、意味が分かりにくいものも少なくありません。現在と同じ語でも、当時とは意味合いが異なることがあります。また、言葉の中に暗喩が隠されている場合もあります。これらを正確に読み解くのは容易ではありません。

当サイトで紹介する川柳は、『誹風柳多留』(柄井川柳、明和2年~天保11年)、『川柳評万句合勝刷』(宝暦7年~寛政元年)を中心に掲載しています。

※川柳の出典:『江戸の生業事典』(渡辺信一郎、東京堂出版)など。

髪結床の風景

髪結を詠んだ川柳の中には、情緒豊かなものも見られます。

○髪を結う内に一寸程積り(明八桜2)

髪結床で髪を結ってもらっている間に、雪が少し積もった――江戸の冬の町の情景を詠んだ一句です。俳句でも通用しそうですが、髪結が絡むことで川柳となるのでしょう。

髪結床の主な客層は、町内の独り者。雪がうっすら積もり、岡場所へ出かけて遊女に温めてもらいたくなる……そんな情景が浮かびます。

○髪結は片膝立てて揉むを待ち(明元義4)
髪結床にやってきた座頭の按摩。仕事で疲れた髪結が、その手でのマッサージを期待している様子を詠んでいます。按摩は常連客か、たまたま通りがかったところを呼び止められたのか――あるいは、髪結が町を回っていて、道ですれ違った按摩に声をかけたのかもしれません。

○髪結はぱっちりいわぬ傘をさし(明三礼4)
「ぱっちりいわぬ」とは、傘がしっかり閉まらないことか。あまり外出をしない髪結が、古びた傘を持ち出したということかもしれません。あるいは、「ぱっちり」に何か暗喩が込められている可能性もありますが、不詳です。

○髪結床異見を言って叱られる(安三仁5)
岡場所の話題で客と意見が合わず、髪結が叱られたという内容。髪結には吉原や岡場所がつきものだったようです。異見とは、どこの遊郭がいい、どの岡場所がよいなどの私見を述べたのでしょう。

○髪結の昼寝一緒に樽拾い(安四礼6)
髪結が昼寝の最中、そこへ酒屋の小僧が来て、酒樽を一緒に回収するという情景でしょうか。
酒屋の小僧は御用聞きをしながら、回収した酒樽を運んでいたといわれています。髪結川柳にも「御用聞き」が登場しますが、主に酒屋を指します。

樽は回収して再利用され、古い樽は燃料や、江戸後期には割り箸に再生されたともいいます。江戸は循環型社会の先駆けでした。

床屋の障子と大暖簾

髪結床は、大暖簾と障子に描いた絵でその存在をアピールしていました。
障子を開けて入ると土間に板の間があり、そこで髪を結います。さらに奥には畳を敷いた控えの間があり、客たちがたむろしていました。

○板の間の外は野郎畳の髪結床(新二三40)
「野郎畳」は縁なしの畳で、江戸中期には待合場所に使われていました。江戸前期には板の間か、ござを敷いていたと考えられます。将棋盤や艶本が置かれていたこともあったようです。

○障子紙大白ではる髪結床(露丸評明三道2)
白い障子紙を貼ったあと、提灯屋が絵を描きます。絵柄はさまざまで、防水処理として油を引いてから絵を描いていました。

中でも「奴」の絵が多く、「奴床」として親しまれました。他にも、草木、歌舞伎役者、鬼、桃太郎などの絵柄もありました。

大暖簾を掲げた髪結床もあり、なかには歌舞伎役者から寄贈されたものもありました。派手な暖簾は人目を引き、客寄せにも一役買っていたのです。

○あたまかくして尻の出た床へ行き(六三9)
○出来立ての頭奴の尻から出(一二五37)
「奴床」の暖簾に描かれた褌姿の後ろ姿。客がその「尻」を見て、そこから出てくる――という面白みを詠んだ句です。

○和尚さま気ざす田町の髪結床(一二九27)
「気ざす」は「催す」の意味。男色趣味のある和尚が、田町(おそらく浅草田町)の奴絵の暖簾に惹かれたという川柳です。

○髪結床へ来て痔の薬くんな(一〇五17)
「奴」の尻の絵を見て、痔の薬がある薬種店と勘違いしたという想像で詠まれた一句でしょう。川柳ならではの洒落と滑稽味があります。

鬼床・桃床

「奴床」のほかに、「鬼床」を詠んだ句もあります。鬼の絵を暖簾に描いた髪結床です。

○鬼床の近所暖簾に桃太郎(一二〇11)
上野山下に鬼の暖簾の床があり、その近所に桃太郎を描いた髪結床が現れた、という句です。鬼を退治する桃太郎にあやかり、対抗意識を詠んでいます。

○鬼床の町場を逃げる角大師(一〇四25)
角大師は、平安期の天台宗僧・良源。流行病を鎮めるため鬼の姿になったと伝わります。この川柳では、髷を結わず髻(もとどり)だけの人を角大師に見立て、「鬼床」から逃げ出す様子を詠んでいます。

○橋を隔て鬼床に六阿弥陀(一〇四21)
上野山下の「鬼床」と、橋を隔てた下谷広小路の常楽院・六阿弥陀を対比して詠んだ句です。

○花の山近所梅床桜床(一〇四22)
上野の花見の名所近くに、「梅床」「桜床」と呼ばれる髪結床があったようです。障子や暖簾に梅や桜を描いていたのでしょう。

○髪結床貰う暖簾も頭割り(九〇13)
「頭割り」は頭数で分け合うこと。髪結の親方が弟子に暖簾を分け与えたのか、人気役者の絵入り大暖簾を何軒かで分けたのかもしれません。

暇な髪結、賑わう髪結

流行の髷を結い、剃り上手で客あしらいに長けた髪結床は、客で賑わいますが、すべての髪結床が賑わっているわけではありません。なかには客が来るのを待つばかりの髪結もいます。

〇髪結床 五百羅漢のように待ち(英泉画 柳樽二・15)
五百羅漢はさまざまな表情をした石像です。客を待つ髪結の姿もまた、さまざまな表情をしているという川柳。

〇縛られたように髪結 暇で居る(明元松・2)
髪結は、袖が仕事の邪魔にならないように襷掛けをするのが定番。その姿で客を待つ様子が、まるで縛られたようだと詠んだ川柳。

〇湯の熱いのはたぎらない髪結床(一六五・12)
「たぎらない」は、うだうだしている様子。月代剃りに使う湯が熱くても、髪結はうだうだと客を待っている。

〇たぎらねえ髪結床は湯が熱し(一一〇・16)
上と同趣旨。

一方、忙しくしている髪結もいます。

〇髪結の元結くわえて忙しさ(武十六・13)
毛梳きや月代剃りは小僧や中立ちが担当し、親方は最後に髷を結って仕上げます。元結をくわえて仕事に追われる姿です。

〇繁盛さ 櫛の歯を引く髪結床(一三七・32)
髪を梳く櫛には、鬢付け油や汚れが付着します。大勢の客が来て、目詰まりしてしまった櫛の歯を掃除する様子を詠んだ一句。

〇初鰹 一本さばける髪結床(安四宮・2)
短期間でしたが初鰹が高騰した時代があり、1本の鰹を買えるほど儲かる髪結床を皮肉交じりに表現。

繁盛するには腕だけでなく、客への気配りや接遇も大切。今も昔も変わりません。

〇人の気を結って髪結流行る也(七五・6)
秀逸な一句です。

忙し過ぎて「紺屋の白袴」の髪結版ともいえる川柳も。

〇大童の姿となり髪結床(一四九・46)
大忙し(大童)と、童髪(ザンバラ髪)をかけています。仕事が忙しく自分の髪は構えない様子。

〇灯台もと暗し 髪結乱鬢(天六龍・3)
まさに「紺屋の白袴」。

〇ぼうぼうとした髪結は上手なり(明二礼・3)
ぼさぼさ頭の髪結は、それだけ仕事が忙しい=上手の証。

〇髪結の結ってばか行く気の毒さ(明六五五会)
客の髪を結うばかりで、自分の髪は構えない。そんな髪結を気の毒がった一句。

慶事・弔事は稼ぎ時

〇地主死去 髪結・質屋 目を回し(六似・4)
地主が亡くなれば大きな葬式が行われます。長屋の住人たちが喪服を引き出し、髪を結いに来る。髪結も質屋も大忙し。

〇髪結は 昨日めでたい日に休み(明六義・4)
町内で婚礼などがあったのでしょう。前日は忙しく働き、翌日は休みを取った髪結も。

髪結も人の子です。人並みに休むこともあるし、年も取ります。

〇髪結は病気に付くと床を上げ (一〇八34)
病気になると誰でも床について寝込みます。ところが髪結は、髪結床の「床」を上げて休む、という洒落をきかせた川柳です。

〇髪結は切なく成るとうらば入り (明四義9)
「うらば」は裏場。町内の裏場には便所があり、髪結が大か小かは分かりませんが、便意・尿意を催すと裏場に行く、という川柳です。髪結も生理現象には勝てません。

〇髪結は年の寄るほど締りかね (二七23)
髪結も年を取ります。「締りかね」は、元結を十分に締められないという意味。髪結に定年はありませんが、元結を締めるには力が必要で、一方を歯でくわえるので、歯も丈夫でなければなりません。そろそろ隠居の頃合いの髪結のようです。
別の解釈では、年寄りの髪結は頭髪が薄くなって、自分の元結を締められないという意味もあります。

〇変な日にばかり髪結休むなり (明五松1)
髪結は遊び人が多く、遊びすぎた翌日に休むという解釈もありますが、この川柳は「腕のいい髪結ほど気まぐれで、変な日に休む」と読むのが自然でしょう。

〇髪結のくるんで来るは急な用 (明五松3)
髪結は、仕事柄剃りたての月代に髷を決めていますが、急な用事ができると、それが間に合わず、頭を手拭でくるんで出かけることがあります。
「くるむ」を「眯む(目編に米)」と書き、目を細めて急いでやって来る髪結、と解釈することもできます。なかには見回り同心の下働きをしていた髪結もおり、何か重大な情報をつかんで同心宅に駆け込んだ、という時代小説的な想像も膨らみます。

髪結の寄合い

理美容師は、新しい技術や流行のヘアスタイルに関する情報収集や技術習得に熱心です。この仕事に対する熱心さは、髪結の仕事が始まった江戸時代から変わっていません。

〇寄り合うとたぼの話の髪結床(新板柳樽一1)
髪結が何人か集まると、タボの話になるという川柳です。
髪結の組合仲間の寄合いの情景を詠んだのかもしれません。タボは後頭部を指し、この部分の厚みの出し方によって丁髷の印象が大きく変わります。江戸時代にも髪型には流行があり、髪結が流行を知らなければ客足は遠のいてしまいます。

当時の流行の発信源は主に歌舞伎で、仕事熱心な髪結は、人気歌舞伎役者の髷やタボ、鬢、月代などを研究していたはずです。

また、江戸の髪結は鑑札を受けて営業していましたが、市中には無鑑札で仕事をしている髪結も多く、鑑札を受けた髪結は組合を結成して町奉行に取り締まりを願い出ていました。

鑑札を受けるには、町役人を通じて奉行に金銭を納める必要がありました。また、髪結は町内の自治組織の一端を担い、店の立地によっては、災害時に重要書類を持ち出す役や、囚人の髪を結う、橋番を務めるなどの役割を任されていました。その見返りに営業の独占権が与えられていたようですが、市中には勝手に仕事をする忍び髪結も横行していました。奉行所も、組合の要請を受けて忍び髪結を禁ずる触れを出していますが、積極的に取り締まった形跡は見られません。

令和の理美容師も横のつながりが強いという点で、江戸の昔からその精神は変わっていないのかもしれません。

髪結は楽じゃない

江戸の髪結床では、一回ごとに結い賃を支払う都度払いのほかに、ご近所の得意客にはツケ払いも行われていたようです。

〇髪結も財布で出るとよく廻り(明三義6)
普段は髪結床でどっしり構えて仕事をしている髪結も、ツケの取り立ての際にはあちこちよく歩き回る、という川柳です。「財布で出る」はツケの徴収に出向く意。

〇髪結はにきびを抜く御まけ也(明元仁5)
年ごろの客の中には、にきび面の者もいます。そんな客に対するサービスとして、にきびを取ってあげたのでしょう。使用する道具はおそらく「けっしき」という毛抜きで、ピンセットのように挟んで取ったのだと思われます。

〇百取るに髪結五度舌を出し(新二十柳20)
百文は高額です。ツケの徴収かもしれません。そんな金額を受け取るために、お世辞を五回も言った髪結を詠んだ川柳です。

〇月代のはんこう代と四文取り(三八22)
月代を剃るのに手間がかかる客だったようです。この時代にはすでに大月代や大額は廃れていましたが、撥鬢や大月代を注文する客もいたのでしょう。

「はんこう代」とは、現代でいうチップのようなもの。辞書によれば、法的義務はないが、物事を円滑に進めるために支払われる金品とあります。この川柳の髪結は、そんなチップを強引に四文取ったようです。

〇金毘羅は湯銭 不動は髪結床(一一一30)
縁日に供える祝儀の相場を詠んだ川柳です。金毘羅さまには銭湯代、不動さまには髪結床の結い賃が目安だという意味。金毘羅も不動も、稲荷ほどではないにせよ、江戸の町に多数あった社です。

この川柳から具体的な金額は分かりませんが、銭湯代は8文、髪結代は24文といわれています。ただし、町や時代によって金額には差があったようです。

〇流行風邪 髪結頭痛 湯屋寒気(八六15)
流行風邪は、今でいうインフルエンザのようなものでしょう。風邪が流行ると、髪結床も湯屋も客足が遠のき、商売あがったりです。
「髪結は頭痛、湯屋は寒気」と、髪結は“頭”、湯屋は“寒暖”にかけた巧みな川柳です。

髪結は情報通

髪結床には、町内の男衆を中心に近隣から客がやってきます。客同士の噂話を、髪結の親方は聞くともなしに聞いているでしょうし、客と髪結が噂話に興じることもあり、髪結床には身近な情報が集まります。

〇二五と十九さ という奴床(七八36)
この川柳は、近くで起こった心中話の際に、髪結が心中した男女の年齢を教えてあげた、という句です。すでに先客から聞いていた情報だったのでしょう。噂に詳しい髪結の姿が浮かびます。

〇髪結に聞けば大方寺も知れ(明七礼5)
町内にある近くの寺を探している人が、困って髪結床で場所を尋ねると、情報通の髪結が教えてくれる、という川柳です。

若い女は避ける髪結床

髪結床に集うのは、女好きの独身者が多い。髪結床の前を通る若い女性にちょっかいを出すこともしばしばあり、髪結床は若い女性にとって“鬼門”だったようです。

〇油絵の障子を明けて毒を言い(二五3)
〇荒っぽく女を誉める髪結床(明八桜5)
〇髪結床して遣りたいと過言なり(安元礼5)
通りすがりの女性に、はしたない言葉をかけることもあったようです。

そんな髪結床の前を通る若い女性の姿も、川柳には描かれています。

〇髪結床の前で日傘が横になり(貞房画柳樽七5)
〇紋々の障子の前を娘駆け(安四天1)
髪結床は、大暖簾や絵障子でその存在をアピールしていました。
「紋々」は、倶利伽羅紋々の刺青を描いた障子のこと。男気を前面に出した髪結床の前を、若い娘が足早に駆け抜けていく情景です。

〇役者絵の障子を明けて毒を言い(安六五五会)
紋々の絵もありましたが、多くは役者絵の障子でした。歌舞伎役者の人気にあやかって描かれたもので、障子に絵を描いたのは提灯屋。防水仕様になっていたようです。

〇文が来ていやすと髪結床で言い(明六智4)
客待ちしている先客に「文(ふみ)が来ている」と伝えるだけの川柳ですが、場所が髪結床となると、その文は遊女からの誘いの手紙だろう、と読み取れます。

〇髪結床 ごぜのお袋どなり込み(明四仁3)
この川柳は、目が見えない若い女芸人「ごぜ(盲女)」が髪結床の前を通りかかり、たむろしていた男たちにからかわれたことに対し、ごぜの世話をしている“お袋”が怒鳴り込んできた場面を詠んだ句です。

なかには、気の強い女性もいたようで――

〇気の強い女 髪結床で聞き(二七22)
普通の女性が敬遠する髪結床で、道や行き先を尋ねる女性もいたようです。

髪結床が女人禁制だったわけではありません。
江戸後期には、髪結の女房が行う月代剃りを禁止する触れが出されていますが、これは女房が実際に髪結の仕事を手伝っていたことを意味します。

髪結床では、「三人立ち」といって、小僧・職人の中床(中立)・親方の三人で客にあたるのが一般的だったといいます。もちろん、繁盛している髪結床では、さらに多くの職人や小僧を抱えていたでしょう。

三人立ちで急な病気などにより人手が足りなくなったとき、女房が助っ人として働くこともありました。また、中立を雇う余裕のない小規模な髪結床では、女房が大切な働き手となっていた可能性もあります。

とはいえ、あくまで素人仕事です。月代剃りに失敗することもあり、それが目立つようになって、取り締まりの触れに繋がったのでしょう。

髪結の仕事ぶり

〇仰向くと髪結喉を覗くなり(天三天1)
髭を剃るとき、客が口を開ける。それを髪結が覗きこむ――そんな、よくありそうな情景を詠んだ句です。ただの描写か、それともからかいの意があるのか。

〇きょうけべつでん煮豆と髪結床(一三五11)
「きょうけべつでん」とは、「教化別伝」のことと思われます。髪結の親方に秘伝の技があるように、煮豆屋にもそれぞれ独自の煮方がある。そんな“秘伝の技”を弟子に教え伝えていたのではないでしょうか。

現代では理美容学校で「理容美容教育センター」のテキストを使って技術を習得しますが、子弟教育の時代は、親方ごとに髪結の技術や月代剃りの方法、毛梳きの手順などがまちまちでした。

独自のやり方を伝承する髪結でしたが、髪結社会は決して閉鎖的ではありません。髪結仲間の寄合では、髻(もとどり)やタボ(髷の芯)、鬢(びん)など、最新情報を交換するなど、勉強熱心な姿も川柳に見られます。

切った髪や剃った毛は「毛受け(けうけ)」に収めます。廻り髪結の鬢盥(びんだらい)には毛受け盆がセットされ、客が毛受けを持って毛を受ける。髪結床では、地紙を使って受けていたようです。毛受けに決まりはなく、毛が散らなければ何を使っても構わなかったのです。

〇髪結のたれを地紙で受けて居る(一〇五10)
地紙は扇や傘に貼る紙で、江戸の中ごろには「地紙売り」が町を売り歩いていました。その地紙を毛受けとして使っていたようです。手に持ちやすい、ノートほどの大きさの四角い紙で、処理もしやすかったと思われます。

〇髪結も毛受けは客の手を遣い(宝十宮2)
毛受けが地紙か毛受け盆かは不明ですが、毛受けは客が手に持つのが通例。髪結との“共同作業”であったことがわかります。

〇髪結床地紙へ首を乗せて剃り(安六宮2)
月代を剃るとき、あるいは髭を剃るとき、客が手に持った地紙に首を乗せて、髪結がそれを剃る――そんな情景を詠んだ川柳です。

〇釜敷の四角なを置く髪結床(一二九31)
毛受けが毛受け盆でも地紙でも、「毛を受けられれば何でもよい」のが髪結床の実態。この川柳では、四角い「釜敷き(かましき)」を代用している様子が描かれています。

髪結の仕事は、元結(もとゆい)を切り、解いた髪を梳いて汚れを取り、月代や髭を剃り、髪に鬢付け油を塗布し、髻を締め、髷を結って整える――という一連の流れです。

作業の順序は髪結によって異なることもありましたが、基本的にはこれらの工程をすべて行います。

髪梳きは小僧、剃りは中立ちと呼ばれる職人、仕上げは親方――という三人で対応する「三人立ち」が一般的でした。ただし、使用人を持たない親方や、廻り髪結は、これらすべてを一人でこなしていました。

〇ぐっと力んで垢をこく髪結床(一六三19)
髪結の作業は、まず髷を結っている元結を切るところから始まります。次に、ザンバラになった髪を梳いて整える。

この工程では、髪のよじれやクセを直すだけでなく、髪に付着した汚れも取り除きます。鬢付け油を塗った髪には汚れがびっしりとついており、それを落とす作業を「垢をこく」と表現しています。ちょっとした力仕事だったようです。

この髪梳きの工程は、女性の日本髪にも共通します。明治期の女髪結が修業時代の思い出として、「あまりの汚さに驚いた」と語っており、相当な汚れだったことがうかがえます。

〇髪結は剃り付ける頃さあといい(明二宮3)
髪結が剃刀を手にして、月代か髭を剃ろうとしています。そのとき「さあ」と一声かけたという川柳です。刃物を使うので気合を入れたのか、それとも「動くな」と注意を促したのかもしれません。

〇髪結床柱をむしりむしりつけ(明五智4)
「柱をむしり」とありますが、実際には柱に置いてある鬢付け油のことを言っています。髪結が鬢付け油を指でむしり取っては客の髷に付け、またむしっては付けている様子が描かれています。

〇引っこ抜くように髪結指を拭き(明五満3)
髪結が指についた鬢付け油を拭いている場面です。現代でもワックスやムースなどの整髪料は手のひらにとって髪に塗布しますが、それと同じように、鬢付け油を手や指にとって髷に付けていたことがわかります。

〇髪結は指ばか鬢へなすり付け(明八義4)
「指ばか」とは「指ばかり」の意。つまり、指先に油を取り、鬢にすり付けるように塗布していた様子を詠んだ句です。

〇髪結の捩じって付けるぼんのくぼ(明三仁7)
髪結が、髻にする毛束を捩じって、ぼんのくぼ(後頭部のくぼみ)辺りに鬢付け油をつけている情景です。

〇髪結はくりからにして一服し(露丸評明二道2)
ウナギを串に刺してタレをくぐらせて焼く「くりから焼き」になぞらえた川柳です。髷全体に鬢付け油を塗り終え、仕上げ前に一服している様子とも、あるいは「倶利伽羅不動明王」のような風貌の髪結が一休みしている様子とも取れます。

以下は、髪結の仕事中の姿を詠んだ川柳です。

〇両方の手を菱にして髪を結い(一二五29)
両手を菱形に交差させながら髪を結っている髪結の姿です。

〇髪結は元結い巻くと腰をのし(明四礼7)
元結を巻き終えると、あとは髷を整えるだけ。その前に、髪結が腰を伸ばして一息つく様子を詠んでいます。髪結の作業は、かがんだ姿勢が多かったのです。

〇よく締めたとこを髪結舐めるなり(天七九・十五)
元結をしっかり締めたあと、その部分を舐める――そんな所作があったことがうかがえる川柳です。

元結を締めて髷を整えれば、髪結の仕事は完了します。ただしその前に、客に仕上がりを確認してもらうことは、今も昔も変わりません。技術者が自己満足で仕上げてしまえば、客の不興を買うことになります。

〇仮り元結い掛けて髪結引き合わせ(明六桜2)
元結を本締めする前に仮結いをして、鏡で客に髷の状態を見せて確認している場面です。

〇根揃えをして髪結探らせる(明七礼6)
元結の根揃えの位置によって、鬢やタボの厚みが変わります。商人はタボを厚く、武士は薄く結うのが通例。時代劇のカツラもこの違いを表現しています。この川柳では、仮に根揃えを整えて、客に厚みの具合を確認してもらっている場面が描かれています。

〇髪結も親爺の時はすかして見(宝十二義5)
「すかす」には諸説ありますが、ここでは「少し離れて見る」ことを意味すると考えられます。客が町内で偉い親爺だったのかもしれません。髪結が結い終えた髷の出来具合を、少し距離を取って確認している様子です。

〇髪結の手ばなれ髷の脈を見る(一二七109)
こちらも同様に、髪結が髷を結い終えたあと、手を離して全体のバランス(脈)を確認している様子を描いています。

〇髪結は手合わせの時屋根を見る(宝十三智4)
髷を結い終え、合せ鏡で客に仕上がりを見せる「手合わせ」の場面です。そのとき髪結は、そっぽの屋根方向を見ているという川柳。客と目を合わせるのを避けた照れ屋の髪結なのか、単に形式的に確認しているだけなのか――解釈の余地があります。

荒っぽい髪結の仕事

客商売である髪結は、親切丁寧が基本のはずですが、なかには荒っぽい者もいたようです――。

〇髪結床先ず手拭で横殴り(明三満2)
髪結床では、髭や月代を剃る前に、沸かした湯に浸した手拭を毛に当てて柔らかくし、それから剃刀を当てます。この川柳では、その動作がかなり乱暴で、熱い手拭で顔を横殴りされた客の不快感を大げさに詠んでいます。

〇髪結床毛をかなぐってぶっつける(明五松3)
「かなぐる」とは掻きむしる意。元結を切った髪か、毛受けに落ちた髪を掻きむしっているのでしょうか。髪結の親方が不機嫌なのか、単に仕事が乱暴な様子を表現した川柳かもしれません。

〇その機嫌ではと髪結怖がられ(八7)
髪結も虫の居所が悪いときがあり、そんなときの髪結は、客にとっては怖い存在だったかもしれません。あるいは、どこかで一杯ひっかけてきたのか、見世の奥で酒を呑んで酔っている様子を詠んだとも解釈できます。酔った髪結に剃刀を当てられるのは、確かに怖い。

〇腕限りなぐるは除夜の髪結床(一五六7)
「なぐる」とありますが、殴るのではなく、「手を抜く」ことを意味しています。大晦日の髪結床は大忙しで、時間に追われ、手抜き仕事になってしまったのでしょう。

しくじる髪結

髪結床の客がさまざまであるように、髪結もまた多様です。現代のように資格制度のない時代、髪結の腕前も玉石混交だったようで、仕事にしくじる髪結を詠んだ川柳も見られます。

〇乱鬢に成って髪結追回し(明五義4)
結った元結が緩かったのでしょう。髷が崩れ、側頭部の鬢が乱れてしまった客が怒り、髪結を追いまわす様子が描かれています。廻り髪結だったのかもしれません。

〇髪結を怖い頭で追い歩き(傍三20)
剃りそこなって傷を負った客が、怒って髪結を追い回している情景。執念深いその様子がにじみ出ています。

〇上下で髪結叱り付けられる(安五礼1)
裃を着て、改まった場に出かける直前の客を剃りそこなってしまい、髪結が厳しく叱られている場面です。

〇髪結を立派ななりで叱って居(明三智3)
「立派ななり」とあることから、客は何かの儀式に出席する前だったのでしょう。その前に寄った髪結床でのしくじりに、怒るのも無理はありません。

〇髪結床懲りたかへんえへんなり(天二梅2)
なにか失敗をし、こっぴどく叱られた髪結。「せいへん、せいへん(しません、しません)」と平謝りに謝っています。「えへん」は上方言葉で「せいへん」と同義とのこと。

〇剃り下げて二十五文になった髪結銭(一五六18)
剃りそこなったことにより、料金を値引きすることもあったようです。この川柳は江戸後期のもので、当時の髪結銭は三十二文が相場だったとのこと。

髪結と十三日

髪結を詠んだ川柳のなかに、十三日に関するものが何句かあります。

十三日とは、十二月十三日のことで、この日は正月に向けて煤払いなどの大掃除をする日とされています。

〇 髪結は十三日の姿なり (明八鶴2)
〇 髪結は十三日という身なり (安四義3)

煤払いをする身なり、つまり汚れてもよい装いでいる髪結を詠んだ川柳です。

髪結というと、仕事柄、身ぎれいにしていたと思われますが、なかには薄汚れた身なりの髪結もいたようで、それが珍しくて川柳に詠まれたのかもしれません。

〇 昼過ぎに髪結の出る十三日 (明五松3)

この句は、十三日の煤払いを終えてから仕事場の床に出る髪結を詠んだもののようです。

十三日の煤払いという行事は、江戸の町では町内あげての一大イベントだったのかもしれません。

髪結床のさまざまな客

江戸の髪結床にやって来る客は、どんな人々だったのでしょうか?

式亭三馬の『浮世床』をはじめ、当時の書物にはさまざまな客の姿が描かれていますが、ここでは江戸川柳に登場する客たちを紹介します。時代としては、江戸時代中ごろの宝暦から寛政ごろの風景になります。

髪結床は町内の集会所的な存在でした。主に集まってくるのは暇な御仁たちです。

◯あしたでもすってくれろと角行をなり(明五満3)
下はパロディ、または盗作に近い句です。

◯あしたでも剃ってくれろと飛車が成り(五37)

◯髪結床 壱冊ずつは絶えずあり(明元礼3)
髪結の順番を待ちながら将棋をさしたり、艶本を読んだりしていました。髪結床の奥は客待ちスペースになっており、そこには将棋盤や艶本が置かれていたことがわかります。

将棋に夢中になり、髪結はそっちのけ。髪結もいつまでも待っていられません。

◯詰み際になって 髪結せっつくなり(安元松5)
◯手見禁になさいと髪結待っている(安三桜3)
「手見禁」は「待ったなし」の意。待ってばかりいては、なかなか勝負がつきません。

将棋に夢中で帰ってこない亭主を迎えに行くこともありました。

◯日半日息子髪結床に居る(安二叶2)
仕事もせず、日がな一日髪結床で油を売っている困った息子。

◯安息子五六人がいる髪結床(天八10-5)
「安息子」は「バカ息子」の意味かもしれません。

◯髪結に小さな勅使 三度立ち(九六10)
子が父を迎えに行ったときの情景。「雷電」の法性坊にかけた句で、「三度来たら断れない」ため、しぶしぶ帰る様子を詠んでいます。

◯今しがた見えなはったと髪結床(安二7-5)
髪結床からなかなか帰らない亭主。迎えに行くと「今しがたまでいた」とのこと。帰りにどこか寄り道したのでしょう。

◯目が覚めて見ると髪結不在なり(安六仁5)
眠りこけている客を残して、髪結が出かけてしまったようです。

髪結床の客は男性です。
夫婦ものなら、通常は妻が亭主の月代を剃り、髷を結うのが通例でした。子どもの頭も妻が剃っていたようです。

不器用な妻や裕福な家庭の亭主は髪結床を利用しましたが、客は独身男性が多かったようです。中には髪を結って岡場所へ出かける輩も。

◯安女郎買いが寄ってる髪結床(藐迫6)
髪を結ってから、行き先はもちろん女郎屋。

艶本で暇をつぶしていたところ、刺激されて出陣したのかもしれません。

◯夕べあれから行ってのと髪結床(十二29)
◯いってきた髪結 夢で仕事をし(明五梅4)
夢心地で仕事をしているようです。

髪結床に集う男たちは、どうやら女郎好きが多かったようで、岡場所の情報交換や自慢話で盛り上がっていたのでしょう。

現代の男性は約85%が年に1回以上理美容室を利用していますが、江戸の髪結床の利用者は全体の2割程度と推定されます。

ただし、頻度は非常に高く、月代が伸びる関係で2~3日に一度、少なくとも4日も経てば剃りに行く必要がありました。結果として顔馴染みが多く、常連客ばかりとなります。

江戸では「湯屋」と「髪結床」は一町一株(一町に一軒)とされていました。湯上がりに髷を解いて結い直すため、湯屋の隣や近くに髪結床が多くありました。

もっとも「一町一株」といっても、町すべてに湯屋や髪結床があったわけではありません。湯屋は町の半数ほど、髪結床はそれよりやや多くあった程度です。

◯髪結床中富さんを言う所(明三桜6)
中富さんとは、歌舞伎役者・初代中村富三郎のこと。宝暦期、中村座で『京鹿子娘道成寺』が大当たりし、髪結床でも話題になったのでしょう。

◯かまりけり髪結床で髭を抜き(宝十二松3)
順番待ちで手持無沙汰な客が、暇つぶしに髭を抜いていた様子。

◯髪結床待つ内座頭しゅじゅな顔(安五信2)
「座頭」とは視覚障がい者。当時、視覚障がい者は按摩や金貸しなどで生計を立てることが多く、髪結床でもさまざまな表情で順番を待っていたようです。
「しゅじゅ」とは「種々」、すなわち「さまざま」「いろいろ」の意。

○髪結は急ならここでなさりやし(筥四41)
順番待ちをしている客が小便(あるいは大便)を催したようです。髪結の親方が、他町から来た客に「ここの便所を使いなさい」と勧めています。町内の共同便所です。生理現象なので仕方ありません。

○髪結の好きに結わせる信濃者(安六智6)
信濃者は、農閑期に江戸へ出稼ぎに来た季節労働者です。髷やタボなどに細かい注文をつけず、髪結に任せる人が多かったようです。髪結にとっては、ありがたい客でした。

○髪結は毛受け一杯目出度がり(明元鶴1)
髪を結ってもらう客は「毛受け(けうけ)」を持ち、月代で剃った毛を受けます。その毛受けがいっぱいになった。つまり、病気などでしばらく来られなかった病み上がりの客が久しぶりに現れたということ。髪結の親方が回復を喜んでいる場面です。

○晩にいる頭だひとつ遣ってくれ(安二梅2)
店じまいの時間帯に飛び込みでやってきて「ひとつ頼むよ」と髪結を頼む常連客。馴染みの頼みは断れないのは、今も昔も同じです。

○夜夜中茶屋は髪結呼び歩き(明三松4)
男女の逢瀬を提供する茶屋で、客の髷が乱れてしまい、髪結を探して右往左往している様子。夜中に髪結を呼びに出る騒ぎになっています。

○髪結は粗末にならぬ百旦那(明六梅2)
「百旦那」とは、100文程度しか出せない貧しい檀家のこと。寺では粗末に扱われがちですが、髪結床では身分や懐具合に関係なく平等に対応していた、という川柳です。

○髪結床皆百うけにはって置き(明五梅4)
髪結床には商人も来ており、商品の宣伝を書いた貼り紙を柱に貼っていたようです。頼まれたら断れない。髪結床は、貼り紙でいっぱいだったのかもしれません。

○やらかしてくれろと入る髪結床(明三桜4)
「やらかしてくれろ」は曖昧な言い回しですが、「やらかす」にはよくない行為のニュアンスが含まれることが多く、意味深な川柳です。

○青と赤白黒のよる髪結床(一一六)
さまざまな人物が集まる髪結床。「青・赤・白・黒」は、比喩的に「すべて」や「あらゆるもの」を指しているとも、かつて存在した四色の染め色とも解釈できます。いずれにせよ、多様な人々の交差点だったことを示唆しています。

髪結床の流儀と風景

○床髪はちょいと突くのが先の方(一二六58)
順番待ちの客に、髪結が背中をちょんと突いて知らせるという光景を詠んでいます。江戸の髪結床ならではの情景です。

○髪結は頭てんてんして呼ばり(明二宮3)
客待ちを振り返り、自分の頭を指で「てんてん」と突きながら「次の方」と知らせる髪結。小さな床でのユニークな呼び方が面白い川柳です。

○髪結の仕上げ背中へ点を付け(一三八32)
結い終えた客の背中をちょんと突いて合図する場面。「へい、お終いでございます」と言う代わりの動作でしょう。

髪結が敬遠したい客たち

令和の理美容師にも苦手な客がいるように、江戸の髪結にも「骨の折れる客」がいました。

○髪結も百に三つは骨が折れ(宝十三信2)
直毛が基本の日本髪・丁髷にとって、強いクセ毛(縮れ毛)の客は難敵。粘度の高い鬢付け油や松脂を使ってなんとか仕上げても、時間とともにクセが浮いてきてしまいます。髪結にとって苦労の多い客ですが、本人にとっても大変だったことでしょう。

クセ毛の苦労については、杉本鉞子の『武家の娘』にも詳しく記述があります。なお、軽度のクセ毛を含めると、日本人の約半数はクセ毛ともいわれています(諸説あり)。

○よけいの仕事髪結の角大師(三二2)
角大師は、鬼のような風貌で描かれる護符。二つの角=二つ髻の可能性もありますが、ここでは縮れ毛の比喩と見られます。手間のかかる「余計な仕事」で、髪結にとっては困りものの客です。

○髪結床伊休を見るとうるさがり(宝十三松3)
「伊休」は歌舞伎『助六』に登場する白髭の人物。濃い髭を剃るのは面倒で、髪結にとっては歓迎されない客です。

○髪結床鍾馗が来るとうんざりし(明二松5)
鍾馗もまた髭の濃い人物像。髭剃りには湯で温めた手拭を用いる程度で、シェービングソープもなかった時代。濃い髭は剃刀の切れを悪くし、途中で刃を研ぎ直す必要もあったでしょう。

○惚れられてから髪結の迷惑さ(宝十松1)
腕が良いと気に入られてしまう。喜ばしいことに思えますが、ここでの「惚れられた客」は、あれこれ注文の多い面倒なタイプ。現代にも通じる悩みです。

髪結床に関わる話

髪結床に関わる川柳の話です。

〇もてぬ奴 髪結床を変えてみる(拾七6)

もてない男は髪型を変える。いまも変わらぬ、もてたい男の心理かもしれませんが、変えたところで、やはりもてない? で、もてない男は髪結床を転々と変える。そんな情景を詠んだ川柳です。

髪結床によって、髷の結い方、タボや鬢の厚さ、また月代の剃り方(形状)によって髷の太さなども違います。技量にも差があるため、髪結床によって仕上がりの髷姿は異なります。もてる丁髷を結う髪結床が流行っていたのは想像できます。

〇勘当の内江戸中で髪を結い(天七繁1)

勘当されて江戸中を転々としている息子は、髪結床も転々とすることになります。

〇髪結床どうだ息子と言うところ(明四義3)

常連客の息子が髪結床にやってきて、髪結の親方が「どうだ、息子」。岡場所への誘いか、岡場所を経験したか? とからかっています。

〇ゆいに来て息子よろしい筋と言い(明八満2)

髪結床で「よろしい筋」といえば、遊び上手が相場のようです。

〇髪結うが嫌いのような矢大臣(宝十三義5)

矢大臣とは、神社の随身門に安置される神ですが、俗に、居酒屋で空樽に腰をかけて飲酒する人、随身(家来)者を指すこともあります。その矢大臣は立髻姿です。この髷なら月代を剃らずにセルフでもできます。

〇梅床で一指を切ったことをたれ(一〇四25)

この川柳の「一指を切った」は、歌舞伎『熊谷陣屋』の「身代わり狂言」を踏まえていると思われます。身代わりの婉曲表現で、別の髪結床に行ったことを「垂れ込んだ」?

〇髪結は本田を母に断られ(明四義3)

本田とは、本田(本多)髷を指します。本田髷は遊び人の遊治郎が結っていた髷で、母親が息子の髷を本多髷にしないよう、髪結に釘を刺した川柳です。

母が髪結床に出向いて言ったのか、たまたま出会った髪結の親方に釘を刺したのでしょう。

*本多髷

本多髷は、髷風俗の中でも、辰松風・文金風に続く、繊細で特異な髷です。大月代の進化系ともいえる髷で、宝暦のころには「ぞべ本多」「豆本多」が登場し、明和・安永・天明にかけて「本多八体」といわれる髷が流行しました。

古来本多・兄様本多・めくり本多・疫病本多・蔵前本多・五分下本多・丸髷本多・金魚本多、の八体です。このほかにも茶筅本多、浪速本多など、さまざまな「本多髷」と称される髷が登場し、一世を風靡しました。

この時代、女性の髪型にも特異な形状をした灯篭鬢が登場し、島田髷・丸髷・兵庫髷と組み合わせた髷が現れています。宝暦から天明にかけての江戸の髪文化は、その後の文化文政・天保期に続く髪型とは趣が異なっていました。

ただし、本多髷や灯篭鬢が流行したとはいえ、本多髷は主に遊び人、灯篭鬢は主に遊女が結っていた髪風俗です。

江戸時代、貧しい家の娘は食い扶持を減らすために奉公に出されました。

奉公といっても、富裕な商家の娘が行儀見習いとして武家に女中奉公するのとは異なり、衣食住こそ保障されていましたが、小遣い程度の安い給金で、下働きなどのきつい労働をさせられました。

〇髪結の遣いからしを下女は買い(明三智3)

髪結の「遣いからし」とは、髪結が使う鬢付け油のことです。底にわずかに残った鬢付け油を、下女が買い求めた様子を詠んだ川柳です。

髪結は鬢付け油をたっぷりと取って使います。使い古してたっぷり取れなくなった鬢付け油は仕事には不向きです。そんな油を、なけなしの給金で安く買ったのでしょう。

下女といっても、若い女性です。おしゃれをしたい。おそらく、鬢付け油より安価な動物性の油を使って髪を整え、艶を出すこともあったでしょう。しかし動物性の油は臭いが強い。やはり植物性の鬢付け油でおしゃれをしたい、というのが女心です。

髪結仕事 点描

髪結や髪結床を詠んだ川柳は数多くあります。髪結の仕事ぶりや、仕事を通して髪結と客とのやり取りを描いた川柳も見受けられます。

〇顎のひげもっと濡らそと喉で言い(明四仁5)

髭を剃っている最中、おそらく剃刀が髭に引っかかって痛かったのでしょう。髭を湯を染み込ませた手拭で濡らせば、痛みは和らぐはずです。声に出したいものの、剃刀が口元にあるため声が出せず、喉の奥を動かして伝えたのでしょう。

〇髪結に剃らせて乳母は疑われ(宝十三信3)

髪結床は男性の空間というイメージが強いですが、若い娘は別として、年増の女性が訪れることもあったようです。白粉のノリを良くするために顔を剃ってもらったとは考えにくく、おそらく自分では手の届かない襟足を剃ってもらったのでしょう。

この川柳から、数は多くないにせよ、年増の女性が襟足剃りで髪結に来ていたことがうかがえます。
「剃ってもらった乳母が疑われた」というのは、誰か特別な相手との密会を疑われたという解釈が一般的です。

〇襟足を直し髪結あしがつき(一一七5)

岡場所で遊んだ髪結が、相方の遊女の襟足を直してあげたのでしょう。その素人離れした手際と仕上がりにより、髪結であることがばれてしまった、という内容です。

〇剃ってやる襟に髪結足を付け(一〇九14)

襟足に不調法に毛が生えている人は少なくありません。その客の襟足を剃るにあたって、髪結が女のように襟足を「つけて」剃った、つまり形を整えて剃ったのでしょう。女のような仕上げにして、客をからかったのかもしれません。冗談好きな髪結だったのでしょうが、後で揉めなければよいのですが。

〇そのように笑いなすっちゃ剃られない(筥一31)

待合いにいる客との会話があまりに面白く、笑いが止まらなかったのでしょう。しかし、笑う客に剃刀をあてるのは危険です。「そのように笑うな、剃れないではないか」という髪結の心の声がにじみます。

〇くしゃみをば髪結床が仕切り(宝十松3)

月代や髭を剃っているときに、客待ちの誰かがくしゃみをすれば、剃刀の手元が狂う恐れがあります。そうした事態を防ぐために、髪結の親方がくしゃみにまで目を光らせている、と詠んだ一句です。実際には、生理現象は思い通りにいかないもの。突然のくしゃみでヒヤリとする場面もあったでしょう。

〇ぶりぶりに分けて髪結二つ三つ(明四桜4)

「ぶりぶり」とは、左右に車輪がついた玩具のこと。子供の輪髷(わまげ)のように、左右二つ、あるいは中央に一つと左右に二つの三つの髻(もとどり)を取って結った髪形を連想させます。

ここでは、髪梳きをして左右の鬢(びん)と後頭部の束に分けた様子を、「ぶりぶり」のような形に見立てた一句と思われます。

廻り床屋

〇髪結の起こして廻る松の内(明元礼2)
廻り髪結が得意先の家へ出向き、幕の内にゆっくり寝ていたい家人を起こす、という川柳です。客の月代が伸びているのではと気を利かせたつもりかもしれませんが、起こされた家人にとっては迷惑な廻り髪結だったようです。

◆廻り床屋は上総出が多い

江戸の髪結には、「一町一株」の内床のほか、橋詰や広小路などの繁華な場所に仮設の床を出す「出床(でどこ)」、そして得意先を訪ね歩く「廻り髪結(まわりかみゆい)」の三種類がありました。

川柳にみられるように、廻り髪結には上総出身者が多く、上総は江戸への髪結供給地であったようです。上総には髪結の技を教える親方がいて、技を習得した弟子たちを江戸に送り出していたのでしょう。江戸には、彼らの世話をする有力者もいたと思われます。

歌舞伎の人気演目『梅雨小袖昔八丈』(明治6年・中村座初演)の主人公「髪結新三」が上総出とされているのも、当時の廻り髪結に上総出身者が多かったことを踏まえての設定でしょう。

〇髪結を一艘積んで帆を掛ける(明六満1)
上総から廻り髪結を乗せて江戸へ向かう帆掛け船を詠んだ一句です。おそらく、木更津河岸に着岸したのでしょう。

〇生臭い船で髪結渡海する(明八信3)
上の句と同様に、廻り髪結が船で江戸へ向かっていますが、こちらは漁船のようで「生臭い船」に乗っていたようです。

〇一睡のうちに髪結江戸へ着き(二七12)
上総から江戸への船旅は短く、一眠りする間に着いてしまうという川柳です。眠っていたのは上総出の廻り髪結です。

〇江戸川の縁に髪結二三人(安八智6)
木更津河岸から江戸に渡ってきた上総の廻り髪結が、江戸川の土手でこれからどこを廻るか相談している様子が浮かびます。

〇上総は昼間 越前は夜廻り(三五24)
〇昼上総 夜は越前廻るなり(安四鶴4)
この二句は同じ内容です。上総出身の髪結は昼に江戸の町を廻り、越前出身は番太郎として夜に廻るという意味です。昼廻り髪結は上総出が多く、夜廻りは越前出が多かったようです。

〇髪結に成って景清狙うはず(安六仁5)
景清(かげきよ)は、伊藤景清とも、上総介忠清の七男「上総七郎」とも言われ、勇猛なことから「悪七兵衛景清」とも呼ばれる平家方の武将です。平家の都落ちに従ったため、「平景清」とも称されます。狙ったのは源氏の棟梁、源頼朝の命です。

この川柳は、上総出身の廻り髪結と、上総出の景清を重ねたものです。

廻り髪結の日常

廻り髪結は鬢盥(びんだらい)を手に下げて江戸の町を歩きます。得意先を廻る者もいれば、町中を流すように歩く者もいました。

〇あたまてんてんで髪結いまねかれる(安七松4)
大きな鬢盥を下げて歩く廻り髪結は、遠くからでもすぐにわかります。それを見つけた人が、自分の頭を指で「てんてん」と突いて、髪結に合図を送るのです。自宅に招き入れて髪を結ってもらうのでしょう。

〇髪結が来ると月代撫でて見る(宝一二智4)
廻り髪結を見かけた人が、自分の月代を撫でて毛の伸び具合を確かめる様子を詠んでいます。もし伸びていれば、その場で髪結を頼むのでしょう。

〇浪潜るように髪結回って居(明元礼1)
得意先の家に入ったり、仕事を終えて道に戻ったり、出たり入ったりする廻り髪結。その様子を、波の間をくぐるような姿にたとえた一句です。

〇髪結の四五足鳴らす下駄の音(宝十三松3)
得意先の家の前で、4〜5回下駄を鳴らして到着を知らせる廻り髪結もいたようです。

〇髪結は草履をはくに手間を入れ(明二桜2)
この川柳では下駄ではなく草履を履いています。遠方の得意先に向かうため、念入りに草履を履いている髪結の様子が詠まれています。草履では下駄のように音を鳴らすことはできません。

〇忙しい形り(なり)で髪結のろり来る(一三〇14)
忙しそうな様子を見せながら、実はゆっくり歩いてくる髪結の姿をユーモラスに詠んだ川柳です。

〇今来てというに髪結屁ともせず(安八松4)
「今すぐ来てほしい」と頼んでも、知らぬ顔の髪結。こうした職人気質も、当時はあったようです。

川柳が伝える多様な髪結

川柳を読んでいると、「内床」「出床」「廻り髪結」の三分類では収まりきらないことがわかります。

〇小石川天道丸の髪結床(明五礼4)
現在の地名に「小石川」は残っていますが、川は存在しません。江戸時代には実際に川が流れており、そこに「天道丸」という川船が係留されていました。この川柳は、その船上で髪結が営業していたことを詠んでいます。

水運の町・江戸では、堀や川が網の目のように張り巡らされていました。天道丸が常時係留されていたのか、あるいは川岸を巡りながら営業していたのかはわかりません。川柳に詠まれるほどですから、船上の髪結床はよく見かける存在だったのでしょう。

女性の髪を結う女髪結

江戸での女髪結の始まりには諸説ありますが、寛政2年に上方歌舞伎の女形・山下金作(二代目)付きの床山が、深川の遊女の髪を結ったことに由来するという説があります。
この寛政2年説のほかに、安永末ごろという説もあります。いずれにしても、上方より四半世紀ほど遅れての出現です。

当初は遊女や茶屋女などの商売女を相手にしていましたが、女髪結が増えるにつれて結賃が下がり、それにともない町家の婦女も女髪結に髪を結ってもらうようになりました。
また、安永・天明のころには複雑な髪型が登場し、セルフで結うのが難しくなったことも、女髪結が活躍する一因だったようです。

寛政7年には、いわゆる「女髪結差止説諭」の触れが出されています。女髪結が急速に増えて、触れが出されるほど活躍していたのでしょう。
この触れは家主などに向けられたもので、町内に女髪結を生業としている者がいれば、洗い張りなど他業への転業を指導するように、という内容です。

この触れは、町人らの奢侈を禁止する他の触れと同時に出されましたが、すでに女髪結は江戸の町で、女性ができる数少ない仕事の一つになっていました。そうした事情を知る奉行が、形式的に出した触れであったとも考えられます。

天保年間にも女髪結を禁止する触れが出されました。このときは、女髪結本人はもちろん、親や夫、さらには結ってもらった者も処罰の対象とするなど、本気度が増しましたが、実際に捕縛された者は限られていたといわれています。

当時の奉行は、遠山の金さんこと遠山金四郎景元です。江戸の婦女にとって女髪結が必要であったことを、彼が理解していたからともいわれています。

女髪結が実際に捕縛されたのは、幕末の嘉永6年のことです。
同年3月15日に本所で夜鷹とともに捕縛されています(『武江年表』より)。
夜鷹は売春婦のことで、女髪結が夜鷹まがいのことをしていたのか、それとも夜鷹の髪を結っていたところを捕まってしまったのかは、定かではありません。

ここで紹介している江戸古川柳は、主に宝暦から寛政ごろに詠まれたもので、女髪結に関する川柳はわずかしかありません。

〇女髪結 世辞にまで艶を言い (一五五・27)

現代でも話好きの美容師は多く見られますが、江戸の昔も同じだったようです。一対一で行う仕事ですので、無言でいるよりも、他愛のない話が弾むこともあったでしょう。艶っぽい話も交じっていたかもしれません。

日本髪は、前髪、左右の鬢(びん)、後頭部のタボ、天頂部の髷で構成され、鬢付け油によって艶を出します。デザインだけでなく、面ごとの光沢も大切でした。
この川柳は、日本髪の「艶」と、話の「艶っぽさ」をかけたものです。

〇女髪結 櫛箱でお初の身 (一六三・10)

女髪結は仕事を通じていろいろな情報を収集できました。適齢期の男女に関する情報も多くあったことでしょう。

この句の「お初」は、浅井長政の三姉妹の次女で、京極高次に嫁いだ人物です。長女は豊臣家に嫁いだ茶々(淀)、三女のお江は徳川秀忠の正室です。お初は大阪の陣で豊臣・徳川両家の仲介役を果たしたとされます。

この川柳では、女髪結をその「お初」に見立て、両家の仲を取り持つ存在として詠んでいます。櫛箱を持って両家を行き来した様子が浮かびます。

明治期の川柳から一句。
〇女髪結ひ 縁までもよく結ぶ
(『団団新聞』明治19年7月10日号)

女髪結は客宅に出向いて髪を結います。訪れた先の家庭事情をよく観察し、適齢期の男女を見定めて、縁結びの手伝いまでしていたようです。
先述の「櫛箱でお初の身」と同じ意趣の句です。

〇女房は髪結 亭主油売り (一二三・48)

「髪結の亭主」といえばヒモの代名詞ですが、この川柳の亭主はそうではなさそうです。女房に養ってもらいながら、あちこちで無駄話ばかりして気楽に暮らす姿が描かれています。

腕のよい女髪結は稼ぎも多く、そんな妻に頼るうちに、自分の仕事がばからしくなって辞めてしまう亭主もいたのでしょう。

美容業界ではこうした亭主を「髪亭(かみてい)」と呼びました。夫唱婦随ならぬ、婦唱夫随な関係です。令和のいまでは見かけなくなりましたが、昭和の時代までは「髪亭」は実在していたのです。江戸時代から続く、ある種の夫婦のかたちだったのでしょう。

〇文七とお六は髪の共稼ぎ (五四・3)

「文七元結」は丁髷の根元などに使われる髪結道具で、「お六櫛」は角丸形のつげ櫛です。
この二つの道具を男女に見立て、共働き夫婦として詠んだ川柳です。

文七元結にはいくつかの説があり、水のりを使った紙で作るものとされたり、元結職人全体の総称とされることもあります。
お六櫛は、木曽街道・藪原近くに住んでいた「お六」という女性に由来するという説が有力です。

この句は『柳多留』第54編に収録されています。板行は文化文政期とみられます。この時代には女髪結が広く活躍していました。
ここでの「共稼ぎ」は、単なる共働きではなく、「よく稼ぐ」という意味も込められており、やっかみを込めた一句とも読めます。

江戸後期に興った女髪結は、明治期を経て大きく発展し、戦前まで盛んでした。
その後、洋装化の進行とともに衰退し、戦後のコールドパーマネントの登場によって、ほぼ姿を消しました。

島田髷、丸髷、兵庫髷、明治中期以降の束髪、庇髪などを基本に、女髪結は多種多様な和髪を創作・提供しました。
日本の髪風俗である和髪文化を担った女髪結という職業は、およそ150年にわたって存在し続けました。

令和の現在でも和髪を結える美容師はいますが、すでに伝統職の域にあります。