国勢調査にみる理美容師数100年の推移

日本で初めての国勢調査は、1920年(大正9年)に実施されました。理美容業への就業者数の調査はこの初回調査から行われており、世紀をまたいで現在まで継続しています。
「理美容業」と現代の職業名を用いていますが、職業名は時代とともに変遷しており、仕事の内容にも違いがあります。それでも、どの時代においても「髪の仕事」である点に変わりはありません。

初回調査は「理髪業理容業」

初回の調査では「理髪業理容業」と記載されています。
「理髪業」は、現在の理容業に該当すると理解して問題ありません。一方「理容業」は、ややこしいですが、現在の美容業も含みます。ただし、大半は髪結(かみゆい)です。

大正時代には、モボ・モガに象徴される洋装風俗が話題となりましたが、実際には旧来の和装をしている女性が大半で、洋髪をする女性はごく一部でした。洋髪を手がける美容師も非常に限られていました。

このとき「理髪業理容業」は合わせて14万5,863人となっています。内訳は、男性7万4,749人、女性7万1,114人で、理髪業に従事する女性もいましたが、多くは男性です。女性の多くは髪結業と見てよいでしょう。

ちなみに、理美容業就業者の男女比率は戦前までは男性がやや多く、戦後になると女性のほうが多くなります。

国勢調査の前年には、大阪で日本初の理髪師試験が実施され、免許制度が導入されました。翌年には、マルセルアイロンを用いた洋髪「耳かくし」が登場し、一部女性に支持されました。

なお、1925年(大正14年)と1935年(昭和10年)の調査では、理美容師数の集計は行われていません。

昭和5年調査では「理髪師結髪美容師」

1930年(昭和5年)の調査では、職業名が「理髪師結髪美容師」に変更され、「理容業」は「結髪美容師」として分類されます。結髪が先に記載されているのは、就業者数が美容師より多かったと推測されます。

当時の理美容業就業者数は11万7,783人ですが、3職種の内訳は不明です。この年、東京における理髪業の男女比は、女性が8.4%(警視庁統計班)というデータもあります。

また、東京府ではこの年に初めて理容術試験が実施され、明治34年から届出制だった理髪店開業に対し、店舗の衛生措置規定が設けられ、免許制に移行しました。都市部では徐々に電髪によるパーマネントを行う美容室が増え始めます。

戦争が女性の洋装化を促進

1940年(昭和15年)の調査は、日中戦争の真っ只中であり、翌年には太平洋戦争が始まります。その影響で「理髪師結髪美容師」の数は17万8,255人に減少します。

バリカンが一般家庭にも普及し、男性のセルフカットが増え、女性も節約志向が高まった一方で、おしゃれを楽しむ女性も多く、国産の安価な電髪機の普及により、パーマネントをかける女性は増加しました。洋裁の普及や化粧の洋風化と並行して、女性の洋髪化も進みました。

翌年には電力規制の影響で木炭パーマに移行しますが、配給の木炭を持参してパーマをかける女性もいました。

また、昭和18年には理髪師は40歳未満の男子にとって禁制職業となります。昭和15年の時点で「理髪師結髪美容師」の男性就業者は7万7,205人で、前回調査より2万人減少していました。

戦後は女性就業者が男性を上回る

1945年の終戦時には調査が行われませんでしたが、1947年(昭和22年)に臨時調査が実施されました。ただし、職業についての調査はありませんでした。
1950年(昭和25年)の調査からは、職業名が「理容師美容師」となります。就業者数は18万9,000人で、男性8万6,000人、女性10万3,000人。この調査以降、理美容業は女性の就業が男性を上回り、その差は次第に拡大していきます。ただし、理容師に限れば、男性の方がやや多い状況が続いています。

昭和22年に制定された理容師法は、理容師と美容師を対象とし、美容師の中に結髪も含まれていました。戦後もしばらくは和髪文化が残っており、髪結の仕事も存在しました。

昭和23年ごろからはコールドパーマが普及しはじめ、昭和25年ごろには洋髪化が急速に進みます。コールドパーマは昭和40年ごろに最盛期を迎え、以降は徐々に下火になります。

昭和50年代までは、美容師といえばパーマ屋さんという時代でした。一方、1963年にはヴィダル・サスーンがジオメトリックカットを発表し、日本でもブラントカット技術に注目が集まり、美容業界はカット&ブロー中心へと転換していきます。

この時代、理容師の数はまだ美容師を上回っており、昭和50年までは理容師が多数派でした。

1970年調査より理容師と美容師を分けて集計

1970年(昭和45年)の調査から、理容師と美容師が別々に集計されるようになります。理容師は30万9,750人、美容師は25万4,975人。ここから美容業が拡大し、理容業は新規参入が減り縮小に向かいます。

2020年(令和2年)の調査では、理容師は14万770人と半減。一方、美容師は2005年(平成17年)に46万1,161人でピークに達しましたが、以降減少に転じ、2020年には35万1,060人となっています。

美容業は男性客の取り込み(メンズ美容)によって拡大しましたが、それも飽和状態に近づいています。

理美容師数は、2005年の69万1,427人を頂点に減少へ。日本の総人口も2010年(平成22年)の1億2,806万人をピークに減少していますが、理美容師数の減少はそれより早く始まっています。しかも人口数より減少速度は早い。
2005年には「1就業者あたり人口」は185人でしたが、2020年には257人と増加しています。

昭和50年代ごろから「供給過剰」と言われてきた理美容業界ですが、理美容師数と日本の人口推移を見れば、バランスの取れた方向に向かっていると捉えることもできます。

国勢調査にみる理美容師数と就業者1人当たり人口の推移

西暦 理美容師数 就業者1人当たり人口
1920 145,863 384
1925
1930 215,415 299
1935
1940 178,255 410
1945
1950 189,000 445
1955 308,237 292
1960 411,210 229
1965 524,670 189
1970 564,725 185
1975 508,430 220
1980 570,416 205
1985 627,582 193
1990 632,749 195
1995 657,917 191
2000年 670,754 189
2005 691,427 185
2010 546,370 234
2015 518,680 245
2020 491,830 257